2015年11月23日月曜日

子規の旗から

by 井上雪子

早くもクリスマス・イルミネーションが美しい夜が始まったが、先週から今週、群馬県立土屋文明記念文学館で「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」を、神奈川近代文学館で「柳田國男展」をみてきた。どちらも見ごたえ十分な面白い企画と資料と展示に見入ってしまい、ちょっと疲れた。
明治時代だからか、文学者あるいは研究者だからか、実に筆まめなことにいつもながら驚いてしまう。毛筆の巻紙の信書もペン書きの葉書も、さらさらと屈託のない筆の運びで連絡手段というよりも、送り先のひとへの温かさとか、何かを表現すること・伝えること自体の喜びのほうが勝っている感がある。


土屋文明記念文学館の脇には、縄文時代の大きな古墳があり、登って廻って降りるとガラス越しに石棺を眺めることができた。「柳田國男展」では、柳田家に掛けられていたという「世の中の憂きこと聞かぬ住まひかなただ山水の音ばかりして」という本居宣長の歌からぐうんと時間が広がっていき、日本・日本人以前という世界へ意識が飛んでしまった。

歴史なんか知らなくたって、日々、困ることはない。けれども、見慣れぬ土地の何か地霊的な空気が日頃の空気より濃いことを感じていると、いつの間にか、始まりのほうへと心が連れて行かれてしまう。
子規の月並み俳句論は 、今どきのアイドルが歌う「100%勇気・・・!」以上の異色の旗だったのだろうが、そのきれいな旗からの風は今も届く。そして、明日の俳句の風も、都市という野を行ったり来たりしているらしいが、私の眼もまた知らないものを見つけられないのだ。いっそ、目を閉じて冬の匂いのなかにいようか。




■「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」
群馬県立土屋文明記念文学館
2015年10月3日(土)~12月13日(日)

■「生誕140年 柳田國男展」
神奈川近代文学館第2・3展示室
2015年10月3日(土)~11月23日(月)


2015年11月9日月曜日

上を向いて

by 梅津志保


「豆句集みつまめ」その七粒目(2015年立冬号)が完成した。

全国に飛び立っていった(郵送させていただいた)みつまめ。もう冬支度は始まっているのだろうか北海道、まだ暖かいのだろうか沖縄へ。皆さまのポストにポトリと落ちるみつまめ。同じ時間に受け取っていただいても、外気の違いはそれぞれなのだろうと想像する。

今回、夏に合宿を行った。富士山までの小さな日帰り旅行。車が山道でカーブしながら、梨木香歩さんの小説の話で盛り上がり、俳句の何を大切にしているか話し合い、この7号にたどり着いた。

たくさんの人、たくさんの俳句に支えられ、自分の作品が生まれること。
ハナミズキの赤い実に、雨粒がキラリと光る暖かい夜。傘は閉じて、上を向いて歩いた。

2015年11月3日火曜日

JAZZの闇

by 井上雪子


横浜・関内、『馬車道まつりアートフェスタ2015』の中の一つのJAZZコンサートに行ってきました。ホールの入口で頂いたプログラムに並ぶ『YOKOHAMA Boogie』、『China Town My China Town』、『Gaslight In The Twilight』・・・、関内の予備校で過ごした遠い日々が匂いだすようなタイトル、泰地虔郎さんとYOKOHAMA Port Beatsから流れだす音たちは弾むようにキラキラし、包むように柔らかでした。

プログラムにはなかったのですが、アンコールに応えて演奏された『大地のうた』、苦しいほどの迫力に圧倒されました。 ドラムスと尺八、鈴の響きだけで深く濃い闇が呼び出されていくような、音の生命力という感じでしょうか。日本のどこか、そして私のどこかに今もこれほど深い闇が眠っている、そんなことを確かに感じる空間のなかに座っていました。


そしてまた、日本の横浜でJAZZというスタイルを選ぶことへの思いの深さ、JAZZに溶かし込まれたものを受けとめ、大切にしてきた泰地さんの時間を思いました。音階の枠を越える豊かな一音の力、いまここを生きるJAZZの魅力、ひさしぶりに大人の時間を過ごした気がしました。

『馬車道まつりアートフェスタ2015』

泰地虔郎とYOKOHAMA Port Beats

(横浜・関内大ホール 2015年11月2日)