2015年8月30日日曜日

宿題の答え

by 梅津志保


急に涼しくなった。私は、この夏旅した、琵琶湖を想う。滞在した湖西は、京都や福井に近い。山に囲まれた地域には、秋が早くやってくるだろう。

近江八幡の、お侍が出てきそうな町並みや、鬱蒼たる緑の中の比叡山延暦寺も行ってよかったが、 今回、強烈に心に残ったのは、琵琶湖のそばの「かばた」の暮らしだ。

かばた(川端)は、湧水が流れる水路を、町の人が共同で生活水として利用する暮らしだ。お皿を洗ったり、野菜を冷やしたり。 誰か一人が川を汚すと、隣の家々の迷惑になる。きれいな水路には、鯉が泳ぎ、ご飯粒を食し、きれいな水は琵琶湖へと注ぎ、鮎や小魚が遡上する。

地域の人に案内してもらったが、「守る」という言葉をこんなに強く意識したことはなかった。人々が守ってきたからこそ、私は、この奇跡的に残された、美しい光景を見ることができる。それは一人でできることではない。町全体で取り組むことなのだ。割と「守られて」来た今までの自分を知る。それは、とても幸福なことだが、果たして私が「守る」ものは何だろう、俳句で今、次に伝えたいものは。夏休みの宿題の答えは、これからじっくり出すことになる。

2015年8月24日月曜日

短い夏に

by 井上雪子


あっけなく、はっきりと夏が終わる。夜、コオロギが鳴きはじめたかと思いきや、早や赤とんぼを見かけ、青い小さな団栗三つ、拾う。何か納得できないような、陰暦が季節に追いついたかのような、短い夏だったと思う。

そんな秋めいた昨日から蕪村の俳句をゆっくりと読み始めた。「染あえぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉(あかとんぼ)」、「鳥さしの西へ過(すぎ)けり秋のくれ」、解説を読まなければ句意がわからない。が、何か美しいことは伝わってくる。未だすっかり赤くなっていない蜻蛉、秋の初めのその完璧ではないゆえの美しさ。小鳥を捕える者が沈みゆく秋の夕陽の方へ、仏さまの住むという西の方へ。

景の中で二転三転、実景に心象が混濁し、深くなってゆく意味の面白みを味わう。先日、サントリー美術館で「若冲と蕪村」展を観た際、蕪村の絵の面白みが理解できず、しっかり観ないままにしてしまったことを、今とても残念に思う。見つめること、見つけること、描くこと。俳句と通底する何かが見え隠れする。私は風景画も石膏デッサンも苦手で嫌いだったけれど。そして、絵筆を握らなくなってから本当に長い時間が過ぎたけれど、絵を描きたいと思う、秋。



『蕪村句集』(玉城司=訳注) 角川ソフィア文庫 2011年


「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展
サントリー美術館
平成27年3月18日(水)~5月10日(日)


2015年8月17日月曜日

これからレモン

by 梅津志保


我が家のレモンの実を数個摘んだ。隣家に勢いよく伸びていたレモンの実は、まだ青く固い。

私は、『智恵子抄』(高村光太郎)の朗読を、ちょうど句会で聞いたばかりだったことを思い出した。久しぶりの『レモン哀歌』。悲しい詩なのかもしれないが、私にとっては、心がしんときれいになる詩だ。

学生の時、教科書で『智恵子抄』を知った。詩ってなんだろう、意識しだしたのは『智恵子抄』からだったと思う。「これが詩なんだ。」とストンと自分に落ちた。私は「がりりと噛んだ」と「トパアズいろの香気が立つ」の箇所が好きだと思った。音、香り、色。レモンに対する誰もが共感する表現力。そして、レモンに重ねる「思い」。

レモンは秋の季語。あの明るい色や、CMなどの影響か、アメリカやイタリアの南の地方が産地であり、夏の物だと思い込んでいた。これからどんどん色づいてゆく。レモンの木は、雪が降った日、黄色い実に、白い雪が積もり、いつも濃い緑色の葉と共に、明るくすっきりと立ち、きらりとした光景を見せてくれる。

私は、青いレモンの実を「がりり」と噛んでみた。まだ熟していないレモンは、歯がたたなかったが、果汁を絞ると「トパアズいろの香気」が私を包み込んだ。

2015年8月10日月曜日

言葉の痛み

by 井上雪子


「自分の体験を一方的に語っている自らを省み、ひとりひとり異なっている様々な聞き手がいるということを考えた・・・」と話されるご老人がいらして、はっとした。2日ほど前、被爆体験を語り継ぐことの難しさを伝えるテレビ番組だ。この春、若い聴衆からこの方に乱暴なひとことが投げられたのだが、その方はそこから投げた側の痛みをきちんと受け止め、投げられた痛みに屈することなく、自らを見つめられたのだ。再び大切なことを次の世代に伝えるその言葉、その思考のやわらかさを私はなにか救われるような思いで聞いていた。

2015年夏、殺す側と殺される側の「何故?」は互いに理解しあえない外国語のように、隔絶している。勝つために殺す、誰でもいいから殺す、まもるために戦いに征く、意味が分からない。議論に負けても数で勝ち、非戦の志は70年で手放されるのだろうか。殺しあわない力は言葉の力、自由のちからは表現の力。痛みからさえ学ぶことを継ぐことを思う。

17音、何も言わなくとも以心伝心、超日本的自由を渡ってきた涼しい風、立秋。

2015年8月1日土曜日

メリーゴーランドかき氷

by 梅津志保


実家に帰った時、家族でかき氷を作った。

妹と姪、私がテーブルを囲み、かき氷を作る母の手元を見つめる。順番にかき氷が渡され、食べ終われば、代わる代わる、ガラスの器を母に渡し、お代りをお願いする。ガラスの器は、メリーゴーランドのようにクルクルと食卓を回る。美しい時間だと思った。

日常の中にある美。かき氷の色、夏の日差し、皆の笑顔。そんな幸福な時間を忘れずにいたいと思う。 帰りの電車からは、隅田川の大きな花火を見ることができた。

夏は、まだこれから。2015夏、暑さの中で、俳句と歩く。