2014年12月8日月曜日

お~い、お茶でも。

by 井上雪子


粗忽ものの代表選手のような私だが、ごく時たま、とても美味しい煎茶を淹れることができ、 びっくり褒められたりするが、どうしてどうして、これはまぐれのようにしかできないこと。

ただ、なんとなく、お茶の葉やその量、水のおいしさやお湯の温度以上に、待つということ、見計らうということ、段取りとも気持ちの整え方ともいうものがおいしさを左右するように思っている。

いつも時間に追われるタイプの私には、ゆっくりていねいに何かをすることが難しいが、ゆっくりていねいに何かをすることが実は、忙しなさからの唯一の脱出口らしいということを最近、健康雑誌のコラムで読んだ。副交感神経が優位のリッラクス状態になる、ということらしい。なるほど、これは大きな逆転の一打。

一句の俳句にたどり着くまでに、私は多くの場合、切ったり削ったり、足したり換えたり・・・をパソコンで行う。それは彫塑に似た感じがし、詩の世界にいる幸福な時間であるように思う。けれどそんな推敲は、やはり俳句には向かないのだろう、俳句は次第に抽象画のような色彩のないsmall worldに紛れ込み、時々はっとして、原点まで帰ってくることになる。

稀に何かを見た瞬間、まるですんなり、一句のままひょいと俳句そのものが現れることもある。それは理想かなという感じがしなくもないが、お湯が冷めていく湯気の揺らぎのような時間、魔法のようにゆっくりと見えてくる俳句を見つけ出す時間、ていねいさということ、急がないということの大切さ、届ける力になっていく何かはそんなふうに言葉を支えていくようにも思う。

幸福で悲しくてすべきことが見えない、貧しくて懸命で理由がわからない切なさ、私の俳句はどうしてか、そんな場所を行ったり来たりしながら届きたいものらしい。

冬はこと、緑茶が美味しい。

2014年11月24日月曜日

抹茶と和菓子のかけ算

by 梅津志保


以前、会社の茶道部に所属していたことがある。

作法は難しく、何度も先生に叱られて、へこんだ日もあった。

でも、季節毎の和菓子の美しさが毎回楽しみであった。春は新緑の明るい緑の葉、秋は深みのある赤い紅葉など、抹茶の緑とお菓子の色のかけ算が新橋のビルの一室に確かに季節の訪れを告げていた。お茶の渋さとお菓子の甘さのかけ算も最高である。

「豆句集 みつまめ」その5粒目(2014年立冬号)が完成した。自分の作品をふり返ると「視覚」から入ったものが多い。もっと味覚や聴覚、五感を研ぎ澄ました作品ができないものかと思う。
明日は季節を見つけに、季節を味わうために和菓子屋さんに行ってみよう、そして静かに和菓子と向き合ってみよう、そんな風に思う。

2014年11月8日土曜日

届かない心まで

by 井上雪子


朝、起きてストーブをつけて机に向かう。 まだ、家族は眠っている、そんな この時間に読みたいと思った歌集を開く。



「突き通すやさしさなりき生きぬくことをやめた透明」

「純粋はかがやく色かなすきとおる風が捨てきた光かな」

ヴァン・ゴッホの眼を見つめる、 どこまでも見つめ返されながら佇む。 「ともしび色」

『坂となる道』、 誰も通っていない朝の、 生れたての光みたいな歌たちが静かに並ぶ。 ゆっくりゆっくり、 大切なお菓子の箱を開けるように、 少しずつ読んできた。

「もうだれも信じることなく金魚鉢胸鰭のよく動く」

「白百合のほのかにつたう夕暮れの厨に匂う六月雄蕊」

「うるりこ」(細魚、メダカの古語)、「六月雄蕊」、 歌の途中、どこで切っても、 選び抜かれた言葉はそれはそれだけで独立して美しく、 いくつもの重なる思いが仄かに放たれ、 ふと異なる光のような複雑さを味わうための時間の中に ひとを立ち止まらせようとする。

あとがきには、 「その佇むときを、佇む力を私は持ち続けたいと思う。」とある。 声高になることなく、苦しさや悲しさから逃げないその意志の、 優しさであり、激しさである。

「傘さしかけてとおく夜の空をみるひとはやさしきことばを待てり」

どうしても届かない心に贈りたい歌がいくつもいくつも見つかる。

お会いしたことはないけれど、 みずほさん、と発音したくなる、 やわらかな言葉を真っ直ぐに力にして届けてくださろうとする作者の、そのていねいな時の過ごし方を思う。

文字通り小走りで職場を過ごす私なのだが、 佇むというちからを深く重く、じぶんのなかに置きながら、 今日こそはゆっくり息をしよう。

高橋みずほ『坂となる道』(沖積舎、2013年)。「ともしび色」「うるりこ」「六月雄蕊」は章のタイトル。

2014年10月21日火曜日

感動の骨格

by 梅津志保


台風が来る少し前、黒姫高原に向かった。黒姫高原は、橋を渡ればすぐ新潟県という、長野県の北にある黒姫山の麓にある高原だ。

立ち寄った黒姫童話館は、童話作家松谷みよ子や作家ミヒャエル・エンデの作品、また信州の昔話が分かるコーナーなど展示、所蔵されている。

松谷みよ子の「ちいさいモモちゃんシリーズ」を読んで育った私は、もう鼻の奥が懐かしさでツンとしてしまう。ちいさいモモちゃんで印象的なのは、両親が別れるシーンだ。当時は「離婚」という言葉も知らなかったが、深く悲しんだことを覚えている。童話で離婚や心の悩みを扱うことに対して、作者の中でどれだけの葛藤や周囲からの反対があったことだろう。でも、子どもに対してもやり過ごすことなく真っ直ぐに書いてくれたことで、私たちはモモちゃんと共に乗りこえて大人になったような気がする

作家ミヒャエル・エンデのコーナーでは、エンデからのメッセージとしてこんな言葉が掲げられていた。「おまえは自分の知らないものにかんして存在を認めません。そしてファンタジーなど現実ではないと思うのです。でも未来の世界はファンタジーからしか育ちません。私たちはみずから創造するもののなかでこそ、自由な人間になるのです。」何度も何度も読み返した。そう、自分の知らないことに対しては、不安で、通り過ぎたくなる。俳句の省略した世界に「これはどういう意味なんだ?」と迷う。白黒つけたがりの私は特にそうだ。でも、グレーでもいいということに安心して、そこから始めて、自分なりに読み、作る。感動の骨格さえ忘れなければいいのだと時々言い聞かせる。誰のためでもなく自分のために。

今回の旅は、以前通りかかったことのある黒姫という場所に滞在するという深い目的があったわけではない。しかし、終わってみれば今の自分があの場所を必要としていたのだとそう思う。

2014年10月13日月曜日

古い写真を捨てる日

by 井上雪子


中学生になったばかりの春だったか、父が誕生日プレゼントに小さなカメラを選んでくれた。そのカメラをいつ、何故、どのように捨ててしまったのか、哀しいことに記憶はないのだが、今使っているカメラはいつしか5台めとなった。

今日、ちょっと必要があって、古くからの友人の写真を探すために、クローゼットの棚のアルバムやらプリントをゴソゴソしていたら(探していた1枚は見つからなかったが)、30才前後のバブル期、職場の同僚たちと遊びに出かけては手作りしたアルバムの何冊かをついつい見て読んで笑ってしまった。ほんとバカバカしい限りではあるが、自分としては幸福に近い気分なのだった。

しかし、ピンボケとか、誰だかも思い出せないひと、同じタイミングで撮られた3枚の写真など、捨ててしまえばいいものを、たかが紙(すみません紙業界の皆さん、お世話になっていますのに)であるものが写真となるとなぜ捨てにくいのだろうか。人が写っていても、思い出という甘美さが漂っていても、ゆっくりさっさと取捨選択する力(そのイメージさえ)が、なかなか湧いてこないのだ。

そしてまた、分別とかシュレッダーとか、ひと手間かかる窮屈なご時世、取捨選択の面倒さに拍車がかかる。膨大なデジタル・データの垂れ流しに加担し、自ら振り回されて疲れる。この妙なスパイラルから皆さんはどうやって抜け出しているのだろうか。バカバカしく強い/幸福な意志を見つけるのでしょうか、それとも片づけ屋さんを呼ぶのか。古い写真を捨てる日、いや、眠いのに、どうにかしなくてはと焦る。

2014年9月30日火曜日

立ち止まる

by 梅津志保


たくさんの俳句が私の中を通り過ぎてゆく。

そんな中「!」と立ち止まってしまう俳句に時々出会う。

軒の氷柱に息吹つかけて黒馬よ黒馬よ(臼田亞浪)

なぜこの俳句が私を揺さぶるのか。この俳句の持つ色の世界の美しさなのか、俳人の力なのか、私の今の心持ちなのか。
その全てかもしれないし、他にも何かあるのかもしれない。このことについては、今後もう少し深く、ゆっくりと考えてみたいと思う。ただ、この俳句を読むと、どんなに自分の心がざわざわしていても、私は、すっと雪原の軒下に立ち、黒い馬を見つめ、「静かな生」をいつでも感じることができて、また帰ってこれる、こんな俳句に出会えたということが、今は大きな喜びだ。

2014年9月16日火曜日

難病とユーモアと

by 井上雪子


8月の終わりころだったろうか、ALSアイスバケツチャレンジ。夕方のニュース番組でその映像を目にした折、私はかなり驚いた。まずはその明るさ、ニュース番組にはそぐわないほどの面白く美しい映像だった。作り物ではない美しさなのだ。ALSという難病への理解と支援、その善意に才あるひとの余裕の笑顔とびしょ濡れの勇気、そして、そのユーモアたっぷりな映像にほんの少しひっかかるものが残った。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵され体中の筋肉が動かせなくなってゆき、やがては死に向うという難病。五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)、記憶、知性を司る神経は侵されにくく、痛いという感覚はあるのに、身体を動かし、避けることができない。


そして、治療法は確立されていない。脳性マヒとも、脳梗塞などの後遺症ともまた異なる恐怖感、自覚的に耐える、もどかしくて気が狂いそうな日々、それは私には実感することができない。

ビル・ゲイツ、レディ・ガガ、孫正義や山中伸弥、みなさん、悪意のかけらもない。映像は明るく、笑いを誘い、ALSを理解し、共感し、支援しようとするその姿勢を尊敬や共感を持って見ていた。それでも、ALS患者さんへの優しさや温かさよりも、勝ち組のひとたちの強さ/いかなる時にもポジティブという強さにかすかに戸惑った。編集がそういう意図なのだろうか、そうであるならそのことを訝しく感じる。

勝ち負けの世界が苦手な私だから、そんなことを思うのだろうか。元気なアイスバケツチャレンジャーさんもまた、他者とは分かち合えない恐怖や苦しみを抱えてもいるだろう。だが、自分がALSだと告知されたり、パートナーがALSだと分かった時にも人はなお、強く明るく生きていかなければならないのだろうか、強さを求められるのだろうか。

治癒、という言葉がある。癒されるってなんだろうか、と考えてたどり着いたのは、「愛されているって十分、思わせてもらうってこと」。

ALSに苦しみ、ALSを乗り越えようとしている方々は、何よりも治療法の研究・発見を切望され、社会からの理解や支援を望まれているだろう。そしてたぶん、愛され、必要とされることを求めてもいるはずだと思う。


そして今、私がすべきこと。
「君たちを愛してる、君たちは愛されてるよ」という思い、悲しみや暗さや弱さは強さや笑い以上に大切にされるものだということ、「今ここに居ることそのものが価値」だという思いを、俳句という言葉の力の根として、世の中に届けていくこと。
他者の痛みに向き合い、心の深くを分かち合おうとするもう一つの世界、そんな韻文の世界からの温かな声を届ける力を少しづつでも磨いていこう。

2014年9月8日月曜日

秋の海岸にて

by 梅津志保


週末、海に行った。私は、家族がウィンドサーフィンで沖に出ている間、歳時記をぱらぱらめくったり、犬を連れて散歩をしたりする。

海には、いろいろな人が来る。営業終了の「海の家」を解体に来ている職人さん。そのそばでは「夏はまだ終わっていない」とばかりに海に飛びこむ三人の大学生風の男の子たち。赤ちゃんを連れた家族連れは、簡易的なテントをパッと広げて、ひと休み。お弁当を広げて食べたらすぐに立ち去る男性。乗馬に来ている人たちもいた。

みんな、好きな時間に来て、好きな時間に帰っていく。街や山で過ごす時間とはちょっと違う、成り行きの「海の時間」が流れているようだ。

海という大きなものだけ共有して、あとはみなさんご自由に。そんな大らかさが海にはある。いつも時間に追われている私は、そんなところが少し落ち着かない。
と、理屈っぽく言えばそうなのだけど、単純に、秋の海岸は、夏よりも人が少なくなり、風も涼しく、穏やかで好ましい。いつまでも、どこまでも歩いていけそうで、気がつくと夕方になっていて、「海の時間」に順応している私がいる。

2014年9月2日火曜日

季語の違和感

by 井上雪子


今年、神奈川県の横浜市では、7月末にはかなかなが鳴き、赤とんぼが飛び交っていました。
空にはすでに鱗雲。 この時期、雲といえば積乱雲、もくもくと立ち上っていくその勢いは、私にとっては夏の大きな楽しみの一つなのですが、今年はそれを見ないまま、9月に入りました。 

日暮れには蒼い富士山がくっきり、空気がきれいになったというだけではない何か。「積乱雲が見られない」というニュースは聞かないけれど、 天上の城のように聳えたつ夏雲の美しさを飛行機の小さな窓から飽かず眺めていたのはいつのこと。 ぼんやりと、わたしにとっての季語の栄枯盛衰(ってほどでないけど)を思いました。 

午睡、アイスクリーム、水着、腹巻、ナイター、ビアガーデン・・・・、言葉として懐かしむだけのものやことも増えますが、他方、新しい実感をもって響きだす季語も。 
たとえば、「台風」。自分のなかに広がる昨年までにはなかった微妙な違和感、わたし自身が戸惑うわずかな時間。

災害も戦闘も絶えないなか、ゆったりと広がる「季語」という文化(「個」ではなく「和」の文化)は、古くならない何かをその微かな違和感から彫り出していく力を試されつつ、どこかで新しい力となるような思いもします。

そしてまた、盆踊りの、揃って同じ動きをするリズム、好きか嫌いかはさておき、一夜、争いごとを忘れ、ひとつになってしまえるこの国のシュール。なおかつ、いつしか輪を離れ、月の客となる時間を待つのもまたこの国のルーツ。

俳句の原点/出発点には「ひとをおもうこと」が置かれている、その強さを思います。

2014年8月25日月曜日

未確認飛行物体

by 西村遼


その夜の散歩は、家を出た時からどこか面妖な感じがした。
どこかから見られているような、スポットライトを当てられているような、不快ではないが落ち着かないような気分。
だが気にもせず出かける。最近忙しくて、夜にぶらぶら歩き回れる時間は貴重なのだ。

近所のお決まりの散歩コースを歩いていると、坂の上の方からどろどろと音を立ててバイクがやってくる。すれ違いざま、ライダーが気分良さそうに口ずさんでいる歌が聴こえた。これは知ってる。フジファブリックというバンドの曲だ。

いつだって こんがらがっている 今だって こんがらがってる 僕の頭の中

ライダーの歌は一瞬で横を通り抜けて聴こえなくなった。自分もバイクに乗っているので気持ちはよく分かる。そういう時に赤の他人が視界に入ると恥ずかしくなって急に声が小さくなったりしまうものだが、さっきの人はこっちにまるで気づかないまま歌の世界に浸っていたようだ。けっこうなことである。

川の近くまで来ると涼しい風の匂いがした。このあたりは昼間は親子連れやお年寄り中心ににぎわっているが、夜になるとジョギング、楽器の練習、スケートボード、などなど、何かしら目的を持った人たちがやってきて、黙々と思い思いの時間を過ごしている。盛り場らしい場所もないこのへんでは貴重な、家の外でしたいことに打ち込める場所なのだろう。

それにしても今夜はなんだか人が多いような気がする。普段もトランペットやギターの練習をしている人は珍しくないが、それに加えて何やらアフリカの民族楽器みたいな音もするではないか。
音は丸木造りの休憩所から聴こえてきた。座った人影が地面の上に置いた小さな太鼓を手で叩いている。軽快でありつつも腹にくる低音。ぐっとくる。
きっとあの人も、今は誰のことも考えず、無心で太鼓のリズムに入り込んでいるんだろう。その孤独で楽しい世界。

2014年8月19日火曜日

水郷

by 梅津志保


時代小説好きな私は、江戸時代の面影を残す町並みを訪ねることが好きだ。今までも川越、栃木を訪れてきた。この夏は、「小江戸シリーズ第三弾佐原編」と称して、千葉県香取市佐原を訪ねた。

佐原では、江戸時代、醤油を作り、船運を利用して、江戸まで2週間かけて醤油を運んだという。今では、観光が盛んだが、生活の側にはいつも水があり、水と共に大切に町並を守ってきたからこそ、観光地として残り、今の私たちに昔の暮らしを教えてくれる。

残すべきもの、残さないもの、残せないもの。佐原の町は、残すべきものとしてこれからも残っていくだろう。

そして、この町に来て一番驚いたのは、周囲の水の豊富さだ。利根川を主体として、近くには霞ヶ浦や北浦などが広がり、水郷という言葉がふさわしい。
夏の日をはね返す水面はきらきら光り、周囲は青々とした夏草が茂り、心の奥にも水が広がっていき、満ち足りた気持ちになる。岸に押し寄せる「たぷんたぷん」という水音は、 2014年の私の夏の思い出となる。

2014年8月11日月曜日

順位があってはいけない世界

;by 井上雪子


「ダンサーは選手ではないし、芸術は競技ではない」。 
「日本人は一体いつまで世界で闘って勝つということばかりに重きを置き続けるのでしょうか」 、
「(バレエという芸術においては)ストイックな肉体の修練に加え、天性の際立った個性が欠かせません」。
7月26日、朝日新聞オピニオン欄、バレエ・ダンサーであり芸術監督を務める熊川哲也さんのインタビュー記事の言葉たち。 

バレエという芸術の本質、その未来のビジョンを真っ向から見据たブレのないその
言葉に驚きながら、バレエという語を音楽・文学・俳句などと置き換えたりしながら、何度も読みました。
 
私はいかなる未来に向かうのか、表現者としての豊かで厳しい自覚は、序列・順位づけの文化に翻弄され、貧しく細っていくバレエ/芸術の本質への、率直であるゆえに痛烈な問いかけと思います。



ワールド・カップにしろ、オリンピックにしろ、もはや勝つことだけを目的とした格闘技めいて、おおらかな他者への共感や尊敬や笑顔はリングの外に出てしまった気がしますが、

「そもそも芸術というものは、スポーツと本質的に異なり、順位があってはいけない世界です」という熊川さんの言葉には温かな力があり、歩き出すための力になり、勝ち負けを超えるものへと心がひろがります。
「どれだけ個性豊かなダンサーとして大成しているか」、バレエのこれからを豊かにするために提示された判断の軸はとてもシンプルで深い含蓄

人の身体、人間の思いの力を知り尽くしたひとのまなざしは明るく、厳しく、青空のように透明です。

 そして/もちろん、インタビューの結びの言葉は、とても謙虚です。 「偉大な作品の数々、尊敬する先人たち、支えてくれる周囲の人々、すべてに対する感謝の心が次のステップへと導いてくれると信じます」 。

本当にかっこいい。

2014年8月4日月曜日

グラデーション

by 西村遼


最近は西東三鬼の自伝的小説『神戸』(講談社文芸文庫)を読んでいる。 
自分も以前神戸に住んでいたことがあり、小説の中で描かれる町並みや空気感にどことなく親密なものを感じるので、生彩のある三鬼の筆が好ましく思える。 

世界中を放浪するエジプト人や元看護婦の娼婦、スピード狂の冒険家など、この小説の中で三鬼が紹介する奇妙な人々の多くは移動する者たちであり、国境や階層を越えて生きることを自明のこととして受け入れている。世界中の国々が互いを劣等人種と呼んで殺し合っていた時代では、それはある種法外な生き方だっただろう。
三鬼はそういう人たちに対してほとんど幻想を抱かず、ただ冷静な観察とほどよい親切心だけで向き合っている。 そこが良い。

自分がいた頃の記憶を思い出すと、神戸の街は海へ向かって落ちるすべり台のような姿をしているので、南北方向に坂を上り下りするのと東西方向に水平に歩くのでは印象が変わったのがおもしろかった。
垂直に移動すれば山の手から下町、港湾までの間に少しずつ経済の格差が広がっていくのが分かるし、東西に移動すれば町ごとのカラーが変わっていく。 
なんでもアリのごちゃ混ぜではなく、通りを一本抜けるたびに薄皮一枚ほどの変化を身体が感じるようなグラデーションのある町だった。 

『神戸』の登場人物たちも、コスモポリタンとは言えどんな場所に行っても自分を曲げないような人たちではなく、その場その場の色に合わせて変わり続けて生きてきた人たちだったのではないかと思う。三鬼の強靭な繊細さがその微細な心の動きをとらえている。

2014年7月30日水曜日

走る

by 梅津志保


時々、家のそばを流れる川沿いにある道をジョギングする。

夏草は道の両側から茂り、道幅を狭くする。夜走る時は、夏草がぐっと濃い色を増し、両側から迫ってくるような気がして、その場を急いで駆け抜ける。冬の枯れ草は、どんどん草の密度が減って、見通しも良く、道幅は広くなり、犬とのんびりと散歩する人とすれ違う。

春には、燕がびゅんびゅん飛び回り、秋には虫が鳴き、蜻蛉がすいっと横切ってゆく。 川の周囲は、毎年その繰り返し。そして、私は、夏には「ミニ権太坂」と名付けた小さな坂をふうふう言いながら上り、冬には爽快な汗をかく。体全体で季節の移り変わりを受けとめる。

ジョギングと俳句は似ていると思う。いつでも自分の好きな時に始められる。そして、少ない物で、ジョギングは、シューズとウェア、俳句は、とりあえず歳時記とメモ帳とペンがあれば、始められる。

「削ぎ落とすこと」。ジョギングと俳句が教えてくれた。

2014年7月21日月曜日

1979

by 梅津志保


私が俳句の講座に持参する3点セットは、『俳句手帖』(本阿弥書店)と、『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』(角川学芸出版)、そして『国語辞典』(清水書院)である。

この国語辞典は、俳句を始める時、国語辞典が必要だと思い、実家の本棚から断って拝借してきたものだ。

国語辞典の表紙には「1979 新宿区」と金色の刻印がある。職場も住居も縁のない新宿区の国語辞典があるのか分からない。両親に尋ねたこともない。聞いても多分覚えていないと思うし、誰かにもらったのか、仕事の関係先からもらったのか、ちょっと謎な部分もまた気に入っている。
そして、この国語辞典を引いていると、時折、両親が調べたり、余白に調べた言葉が繰り返し書いてあったりする箇所に出会う。何かで必要になって調べたであろう両親のことを考えたりする。1979年からの年月が国語辞典からあふれでてくるようだ。辞典を拝借したというだけではなく、言葉を受け継いだという感覚だ。

俳句の場では、皆さん電子辞書を使っている。私もいつかは欲しいなと思うし、スマートフォンで写真や言葉も調べる。 
でも、今は、この国語辞典で、いつかまた両親の思いに出会えるのではないかと思い、だいぶ私の手に馴染んできた重い茶色の表紙の国語辞典を今日も鞄に入れる。

2014年7月15日火曜日

折り合いがつかぬこと

by 井上雪子 


折り合いをつけるという言葉があるが、じき60才になろうかという自分のなかで、未だ折り合いがつかないということのひとつが「制服を着る」ということ。

保育園に行くのがとにかく嫌だった記憶があり、園児服を着るところから恐怖に近い不安や嫌悪にまみれ、家の外に出たらもうお迎えの列が見えているから今日は行かない(行けない)などと駄々をこねていた。

今なら、性同一性障害とか発達障害などの治療を必要とする子どもだったのかもしれない、セーラー服を着た自分の姿にどこか私は苦痛めいた何かをおぼえていた。単に五教科の成績がよく、友達も男女を問わずに多かった(いじめもしたしケンカもした)ので、学校で問題視されることはなかったが、これが自分というアイデンティティーを持ちにくかったように思う。

高校では制服を充分に着崩し、就職後はほとんど制服の無い職場で働いてきた。 だが、今、自分が作業服を着る必要に迫られ、大人げない拒否反応を起こしている。

俳句という定型の世界、「韻文」というものは型にはまっているかのように見えながら、意味という束縛を脱ぎ捨ててかまわない柔らかな世界だ。言葉の自由への意志。季語があろうがなかろうが、社会や政治の具体を言葉にするもしないも、破調も型破りも容認する。
現在進行形の時空に根ざし、型を保持し、なおかつ何からも自由であろうとする意志、みずから着る服を選んできた俳人たちの気骨のような系譜がある。

私はだからこそ、俳句に向き合い続けているような気がする。制度との折り合いのつかなさはかえってそれはそれで価値のあることのような気もする。そうして明日は何をどう着て行こうか、うじうじ苦しむ。小心者である。

2014年7月8日火曜日

江ノ島の日

by 西村遼


江ノ島に行きたくなる日というものがある。
よく晴れた日、しとしと雨が降る日、忙しい中のたまの休み、ただ退屈な時、と外的にはいろいろあるが、とにかくふと自分の中で条件がそろい、「江ノ島でも行こうかな」という気になる。

私の自宅から江ノ島までは車で二十分、バスと江の電を使っても一時間しかかからないが、その土地の持つ空気感はまるで異なる。他の地域の方には失笑されることと思うが、なにしろ「東洋のマイアミ」を勝手に名乗っている湘南海岸のことだ。どことなく南国的な、それでいて醤油っぽくもある香りが漂い、次第にこちらの気持ちもユルくなってくる。

ジブリ映画的な異界への雰囲気をまとった大橋を歩いて渡り、島内のキツい坂道をアトラクションのようにして登る。嫉妬深い弁天様やら大きな財布のご神体やら、神様までも俗っぽい。

この島自体がどことなく箱庭めいて見えるが、同時にこれ以上なくからっとした生活臭もする。ハレの空気がどこまでも薄く引き延ばされて日常に膜をかけているような場所だ。

私は島の空気を吸い、何か考えているような顔をして実際はほとんど何も考えたりせず、適当にぶらついてから帰る。名残惜しいとかもっといたいという気分はほとんど起こらない。江ノ島という土地は本気で観光客を呼び込もうとしている感じがせず、来るもの拒まず去るもの追わずという顔をしているからだろう。

2014年6月30日月曜日

進む

by 梅津志保


6月初めに放送されたドラマを見忘れてしまったので、原作『みをつくし料理帖』(高田郁著・ハルキ文庫)を読むことにした。 女性料理人「澪」が周囲の人に厳しく、優しく諭されて、料理の道に生きるという時代小説だ。季節ごとの食材を用いた料理の話や江戸の暮らしが丁寧に描かれていて、今も繰り返し読んでいる。

その中で主人公がどんな料理人を目指すのか迷う場面がある。一流料亭の味を作る料理人か、町で暮らす人が喜ぶ気安い味を作る料理人か。最終的には「食は、人の天なり」という言葉に従い、食べる人を健やかにする料理人になりたいという想いに到達する。 
読みながら、私はどんな俳句を作る人になりたいだろうかと考えた。俳句という十七音が入る小さな器に、季語を入れ、自分の世界を作る。読んでもらう人にどんな気持ちになってもらいたいか、自分の気持ちが先走っていないか、自分らしい世界は作れているか、詩は生まれているか。 

まだ、どんな俳句を作る人になるか答えは出ない。でも、句集を読んでいて「なんて気持ちのいい俳句」「この俳句好き」という傾向は見えてきた。自分の欠点や良さも見つめて、コツコツ進んでいこう。

2014年6月24日火曜日

樹を伐るまでに

by 井上雪子


この一週間、大木を伐る仕事を見守っていた。16tクレーン車が通行許可を取ってやってきて、それはそれは見事な職人さんたちの手際、ほんとならハラハラしながら見守るだろう高さや危うさを確かな技量、綿密に計算・計画された美しい流れ、許されることなら日がな一日、見せて頂きたいと思うほど、危なげのない仕事の進め方で、かっこいいとか面白いなあとか思いながら見入ってしまうような毎日だった。

その一方で、腐食や枝折れという(人間の都合で)伐らざるを得ない樹の幹にチェーンソーが勢いよく滑り込んでいくさまには、なにか深い悲しみのようなものを感じてちょっと目を逸らしたくなる。命がけの作業ということの真剣さに加えて、この大木のいのちの終わりへの敬意のようなものがあるのだろう、作業中の現場は無駄な言葉がひとつもない、淀みのない一定の速さの整った空気に満ちていた。 

大木を伐る、そのための刃物に鑢をかけながら、朝の待ち時間のあいだに最年長の職人さんからお話を伺うことができた時のこと、いかなる時でも教えられた手順を守ることの大切さや、予測や予知とそれへの対応力とは結局はセンスなのだということ、そして素直に聞くという姿勢が何よりも必要という言、植物やお天気や季節を相手に仕事をしてこられた方ならではの澄んだ眼差しとともに、シンプルさのきわみのような言葉を、どこか俳句の世界に通底しているような言葉だと思う。

作業の前に刃のひとつひとつを研いでいく、大木を伐ることの意味の重さを知りつくした丁寧で無駄のない熟練の手つき、この素朴な真剣さこそが自然と向き合い続けることであるようなことと私には思われた。
樹を伐るまでに整えられる時間の長さを少しばかり理解したのだった。

2014年6月16日月曜日

梅雨と夏至

by 西村遼


私が一年の中でどの季節が一番苦手かといえば、トップは僅差で六月だ。
実は季節の変わり目の三月と九月も苦手なのだが、やはりじめじめ梅雨の圧倒的な負の存在感にはかなわない。

一日中垂れ込めている灰色の雲、視界をぼやけさせる雨、雨、雨、となるとまるで本で読んだ木星のガスの大気の下を思わせ、ちょっと季節感とか言っていられない。紫陽花などもろくに見ていない。

それくらい苦手な六月だが、実は私が一年の中で一番好きな季語は、六月の夏至なのだ。毎年夏至の日になると気分がぱっと晴れやいで、夏至に捧げる俳句を十句も二十句も作ったりする。ほとんどは残念な出来なのだが、夏至という概念の持つ宇宙的な感じが言葉にまっすぐ光を当てるような気がして楽しいのだ。

理屈でいえば夏至の日だからといって晴れるとは限らないが、晴れてしかるべきだという期待はいつも持っている。暦の上の言葉と実感にはしばしばズレがあるものだが、夏至くらいはそうであって欲しい。

2014年6月10日火曜日

繋がる

by 梅津志保


ウォーキングの途中、街のパン屋さんに寄り道し、メロンパンを買い、河原に座って食べた。 メロンパンは、気をつけて食べていても、ポロポロと崩れる。すぐに蟻が近づいてきた。蟻は、自分の体の大きさと変わらぬくらいのメロンパンの欠片を「どっこいしょ。」と持ち上げる。そのままスタスタと走り、河原の階段を数段上る。 蟻の姿は階段に同化して、また、メロンパンの欠片が大きすぎてよく見えない。私の目にはメロンパンの欠片が階段を上っているように見えて可笑しくなり、ついそのまま蟻を目で追った。

近くに巣穴があるのかと思いきや、蟻は道路を渡り始めた。 比較的車の往来は少なそうな道だが、ヒヤヒヤして見守った。蟻にとっては、長い道のりだろう。蟻は、そんな私の心配などもちろん知る由もなく、メロンパンを持ったまま、真っ直ぐに道路を進む。 ここでもメロンパンの欠片が道路を渡っているように見えたが、先ほどの可笑しい気持ちは吹き飛び、真剣に蟻を追う。無事渡りきれるか。 蟻の渡りきった道路の先には、小さな、けれど蟻にとっては、大きな野原が広がっていた。そこが蟻の住み処だ。蟻の姿はもう見えなくなっていた。

今まで、自分と蟻の関係なんて考えたこともなかった。でも、パンは私の体を、そして同じように蟻の命を支えるのだと思った。 「違う世界と思っていたけど、同じ物食べてるんだね。」と思うと楽しい気持ちになった。こぼれたパンを、命の糧を蟻がリレーしたことによって、命の繋がりや、生物との繋がりを感じることができたとても貴重な瞬間だった。

「繋がる」という言葉のたくさんの意味を教えてくれた、あの蟻の真っ直ぐな歩みを今でも時折思い出す。

2014年6月3日火曜日

夏の髪型

by 井上雪子


「あっ」と言ったまま二の句が継げない、そんな短さまで髪を切った。正確に言うと「短くしてパーマかけて」と美容師さんに言っただけなので、髪を切ってもらったというか、切られたというか。

しばしの驚きやら爆笑の後、「夏らしくていいね~」とか、「よく似合うよ」とか言って下さる方もいないことはないが、「勇気があるね」とか「精悍・・?」とか言われ、まあ、俳句って最高に短い詩型にはぴったりなのだと負け惜しみのように思ったりもする。

女子というものは、切ったか切ってないかわからないくらいの「いつも同じ」の髪型キープがメジャーであって、オシャレ番長は小まめに美容院に通うものなのだろう。私のように、たまに美容室に行って思い切り切るというパターンは、「けっこう髪型、変えますよね」という女子コメントになる。自分自身では単に短くしてパーマかけたにすぎないという認識なのだが、鏡を見ればやはりちょっと別人が映っていて、すれ違っても気づかない人もいる。

俳句という短い詩型の表現スタイルも、季節ごとにくっきり変えることができたらとても素敵なことだろうと私は思う。猫も私も早くも夏バテ気味だが、夏を楽しむところへ進もう。

2014年5月26日月曜日

球拾い、小銭拾い

by 西村遼


「先生、これどういう意味!?」
自分がボランティアをしている日本語教室では、授業中に何度もこの元気のいい質問が飛んでくる。そのたびにとっさに考え、辞書を大急ぎでめくり、スマートフォンで検索する。じゅうぶんに正しい答えがその場で用意できるとは限らないが、聞いてもムダだったとだけは思わせないように、次につながる答えをしようといつも思っている。

キャッチボールと同じで、どこに飛んだボールでも拾いにいってすぐに返すことが第一だ。いや、むしろ球拾いか。つぎつぎ飛んでくる痛烈な打球を追っていつも右往左往している。

この前は「安い男、軽い女」という表現が出た。テレビドラマの台詞らしいが、いつ使えばいいのかと聞かれて困った。直接だれかに言ったらたぶんケンカになると思う。

スマートフォンで今流行っているゲームの話もよく出てくる。自分もいっぱしのゲーマーのつもりだったのに、いつも知らない言葉が出てくる。外国人生徒たちの情報感度の方が自分よりずっとすごいので、いつも「ほうほう」と驚いてしまい、球拾いの仕事まで忘れそうになる。

この教室の生徒たちは皆おもしろい言葉や新しいものに目がない。それはただ異国で生活しているからではなくて、同じ立場の仲間と毎週闊達におしゃべりする時間があるおかげで、自分の日常の経験にそのたび新たな光が当たるからなのだと思う。

そういえば、自分が俳句や短詩系に興味を持ったのも海外生活中だった。英語漬けの生活の中で日本語禁断症状になり、手近にあった本を読みふけっているうちに、これなら何もなくてもできそうだと思って作りはじめた。そうなるとすぐに、最初期の何でも物珍しい時期を過ぎていささかうんざりしてきた外国の町の通りが、不思議な言葉や景色にあふれていることに気づいて、小銭をひろうように熱心にメモを取った。

今度の授業では俳句を紹介してみようと思う。日本人と同じような作品を作る必要はないし、日本語学習の道具になればいいというのでもないが、きっとこの表現もいつもの言葉への鋭い感度で吸収してくれるだろう。

2014年5月20日火曜日

真夜中のサツマイモ

by 梅津志保


「さて、このサツマイモをどうしようか」。 小腹が空いた私は、夜中、サツマイモを前にしばし考えた。たくさんの調理法がある。そして、調理する道具も。私は、蒸し器を取り出した。

なぜ、たくさんある調理道具の中から、蒸し器を選んだのか。 料理番組で言われそうなのは蒸し器を使うと「食材に中までふっくら火が通る」とか「おいしさを閉じ込める」といったこともあるかもしれない。でも、私はあの「湯気」が好きなのだ。 湯気に包まれる匂い、勢いのある湯気は「作っている最中ですよ。」という合図のようにも思える。そして、カタカタと鳴り出す蓋、その間中、私をワクワクさせる。
たくさんある季語の中から、適切な季語を選ぶことにも似ている。 特に、5月の今は、生命力にあふれた、元気を与えてくれるような季語が自分の周りにたくさんある。 今日は、どんなことに気がつき、感動し、季語を選び、表現したいと思うだろうか。

蒸し器を選んで良かった。サツマイモはとても甘かった。 サツマイモも季語も、適切に使用することで旨味が一層増してくる。

2014年5月12日月曜日

言葉じゃないから

by 井上雪子


いまどきなのかどうだか、仕事用に会社から携帯電話を頂き、(ほぼ)真面目に仕事の連絡をしているのですが、今日はびっくりするほど愉快なメールが返信されてきました。
文面たった3行、
「井上雪ちゃん(雪だるまの絵)
こんにちは(^_-)
了解しました(^o^)小熊拝」

背景には、ふたりのやわらかな宇宙人みたいなものが交互にバンザイしたり笑ったり・・・。
日本では3本指に入るとの評判も高い70才はゆうに越える職人さんからのその返信メール、ひとりにやにやしながら、しかしなんだか気になりすぎる・・・。
パソコンメール、携帯メール、丁寧にしたつもりの『ですます調』がなぜか切り口上な感じになってしまうから、言葉に敏感なひとは語尾に顔文字や「ね。」、「よ~。」と気を遣っていたりします。が、そんなビジネスマナーとは別の次元、言葉という意味を離れ(^o^)気持ちを伝える、こんな勇気がほしいね~とは思いつつ、俳句には永遠、そんな勇気は必要とされていませんね~(笑)。

けれど、手書きの葉書を頂いた時の「ああ」と瞬時に伝えられる心、ドアを開けた朝の風や光、すれ違う人たちの香りや匂い、歯触り・手触り、色調、重さ、大きさ・・・、言葉じゃないから伝わる何か。意味なんて伝わらないのに泣いてしまうような、言葉じゃないから伝わる、そんなものの力の大きさを、なんだかこの可笑しなメールに思うのです。
言葉が大好きで、言葉にしかできないことがたくさんあることを知っているけれど、言葉じゃないから伝わる力を受け取りながら、日々をゆっくり暮らしていきたいと思います。

2014年5月5日月曜日

石田徹也展-ノート、夢のしるし-

by 西村遼


平塚市美術館で開催されている石田徹也(1973~2005)の個展に行った。
氏の作風は、虚ろで悲しげな目をした青年(ほとんどの作品に同じ顔をした青年が何人も出てくる)が飛行機や洗面器、机、椅子などの日常的な物体と一体化しているシュールリアリスティックなものである。
グレーとブルーを基調色にしたキャンバスの中で、現代人の孤独、疲労、憂鬱といったテーマが目をそむけたくなるほど露に描かれているが、同時に、「姿勢」と「動作」に関する一種のユーモア感覚が、これらの絵を暗鬱なだけの世界から救っていると感じた。
すなわち、彼の作品では、人間とモノとは単に記号的に組み合わされているのではなく、その「動作」によって互いに近い存在になった瞬間が的確に捉えられている。この把握の仕方は俳句とも案外近いものがあるように思われる。

たとえば、人間が椅子と一体化している作品がある。「人間椅子」といえば、どんなポーズか伝わるだろう。スクワットを途中で止めるように中腰になって椅子そっくりのポーズをとれば、もともと椅子という製品は人間の身体の形状に沿い重なるようにデザインされていることに気づかされる。つまり椅子は人体を模倣しており、それに座ろうとするとき人体もまた椅子を模倣するのだ。

ほかにも、たとえば体育の授業では前屈みになって「跳び箱の台のポーズ」をとらされたことや、意固地になって人気のない階段に隠れるように座っている時には、姿勢も階段のように直線的にかたまったりしていたことを思い出せば、石田徹也の作品はぐっと身近なものになるだろう。

画家の想像力の中で、一人一人の人間は互いに区別がつかない大量生産の規格品のようなもので、精神のありようによって容易くモノとも区別がつかなくなる存在だった。それを現代社会の反転したアニミズムと呼ぶこともできるだろう。世界を擬人化してとらえるのではなくて、人間を世界や社会構造の一部品=モノとしてとらえる視点。その上で、何重にも反転した論理を尽くして、石田徹也はあるいはこう問いかけているようにも思えた。


「モノにも魂が宿るというのなら、人間にも魂があってもおかしくないのでは?……」

人間とモノとの境目があいまいになり、表現として沈黙に近づけば近づくほど、魂の所在を叫ぶ声はかえって高まるのだろうか。

失語して石階にあり鳥渡る 鈴木六林男
砲いんいん口あけて寝る歩兵たち 鈴木六林男


石田徹也-ノート、夢のしるし-

http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2014201.htm
平塚市美術館

2014年4月12日(土)〜6月15日(日)

2014年4月28日月曜日

おかえり

by 梅津志保


5年前、駅の南口の再開発と同時期にこの街に越してきた。家から駅までの道は整備され、駅前にはスーパーがあり、とても快適だ。駅の北口には、お肉屋さんやお魚屋さんが軒を並べている。夕方などはとてもにぎやかだ。仕事帰りに店に立ち寄ると「おかえり!今日は何にしましょう!」と言って、旬の食材や調理法を教えてくれる。

以前暮らしていた街での私は、自分の周りにあるたくさんの言葉に少し疲れ、自分も言葉で誰かを傷つけているのではないかという思いに駆られ、仕事から離れ、家で静かな暮らしをしていた。日中話すのは、スーパーのレジの人とだけ。話すと言っても、レジの人が「レジ袋は要りますか?」「ありがとうございました。」と言い、私は首をふるか、うなずく。
家に居れば、誰からも傷つけられず、傷つけず、自由に自分がいられると思っていた。ところが、社会から離れると、人と接しないと、自分が確立されないということに改めて気がついた。相手がいて、傷ついても言葉を交わすことで、相手のことも自分のことも理解できる。その場所に立っていなければ、自分が立ち上がってこないのだと。

言葉は傷つけもするが、人を救いもする。今の私は仕事をし、俳句を通じて、言葉を磨く。「おかえり。」という言葉ひとつで、一日の充足感を得て、人の温もりに包まれる。私の中で今言葉は、お魚屋さんで買ってきた鰺と同じく、ピカピカ光り輝いている。

2014年4月21日月曜日

買物籠からキラキラと

by 井上雪子


町や橋の名前の付いた通り、商店街が人々でにぎわっていた時代、子どもだった私の目に安物の造花はイキイキと輝いて見えた。
意味も分からなかった「縁日」、屋台に並ぶセルロイドのおもちゃやどぎつい色のお菓子が妖しい光線を放っていた。ただのお母さんのお買い物籠から少しずつ、魔法の粉が撒かれて、商店街は光っていたのだ。

今、シャッターが降りたままの店が並ぶ商店街を歩けば、エプロンをして買い物籠を下げたお母さんたちが幻のように見えてくる。
共稼ぎ・男女平等・核家族・バブル崩壊・レジ袋・・・。
昼間っから食材を買いに出かけ、夕方には子どもと手をつないで歩いていた彼女たちを絶滅に追い込んだものって本当は何だったんだろうか。

時代の波は寄せては返し、「ただのお母さん」の意味や価値を削ってしまい、お父さんもお母さんも忙しく、ピッピッとマイレジ精算を急ぐ。
けれど、イタリアのマンマみたいなのんびり堂々、ただのお母さんがかっこよかったことに気づき始めた女子も少なくはないと思う。
買い物籠は最高にエコだったし、世界の安定はただのお母さんの立ち姿にあった。なんだか今、そんなただのお母さんの魔法の力がとても大切な気がする。

昔ながらの形式でありながら、俳句はその魔法の力・キラキラの粉を密かに隠し持ち続けてきたように思う。詩という表現の本質的な自由さ、野性的な言葉の力、時代には削られない何か。
コミュニケーションの手段としてみれば、わずか十七音の俳句は最高のエコだといえるし、ただのお母さんと同様、豊かな時間を抱いてもいる。

携帯電話やラインで繋がる「忙しいのがかっこいい」ブームを終わらせ、そのヒロインが立ち上がる時、キラキラするものが街に広がっていくのだろう。
商店街には電子音は似合わない。

2014年4月14日月曜日

言葉の振り逃げ

by 西村遼


高橋秀実『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』(新潮社)を読んだ。この著者にしては珍しく高校野球というメジャーな素材を扱っており、もうドラマ化もしているらしい。確かに「学業成績優秀だが弱小の野球部が発想の転換で強豪に打ち勝とうとする」なんて言うといかにも向上心のありそうな話に聞こえる。しかし、何か役に立つ教訓を求めてこの作品を読もうとすると、著者の混ぜっ返すような筆に困惑してしまうかも知れない。事実として開成高校野球部は進学校としては異例の好成績を挙げているからこういう本も出るのだけれど、著者の関心はそこではなく生真面目で正直な部員たちの語る言葉にある。

この本の中の開成高校野球部員たちは、とにかく言葉でよく考え、自分自身の行動を論理づけ、分析し、説明する。それがもしイチローのような天才野球選手が自らの技を語る言葉であれば、私たちはたとえ野球をあまり知らなくてもありがたがって聴いてしまうだろう。しかし、彼らは決してイチローではなく、一般的な野球部員としても単純な運動神経という点では見劣りする生徒がほとんどである。そのため、彼らの言葉は主に自分たちの下手さを分析し論理的に説明する言葉になる。その言葉がとても豊かなのだ。
「野球は言葉のスポーツ」という故パンチョ伊藤氏の言葉があるが、例えばこの本の中の、
「球は前から来るものだから打撃は難しい」
とか、
「野球しようとするな!」
などの言葉は言葉そのもののおもしろさとして見事なクリーンヒットである。言葉の世界においては、プロも高校生も素人も、野球のうまい下手も関係ない。真剣に考えて、思い切ってバットを振れば、誰にでも出会い頭の一発はあり得る。あるいは空振りでも、アウトになるまで何が起こるか分からない。振り逃げでも暴投でも、言葉はボールのように転々と転がって何かを起こす。


そしてそういう言葉を引き出そうとバッティングピッチャーのようにゆるくて絶妙な球を投げているのが著者の高橋氏である。インタヴュアーとして、氏は部員たちに常に基本的なことを問いかけ続け、その認識を揺らし続ける。その揺らぎに生真面目な少年たちはいちいち素直に反応してしまい、結果的にそれぞれの個性がとても良く感じ取れる。へなへなの空振りをしたバッターがなぜか可愛く見えるのと一緒だ。

高橋氏の作品はいつも、問いが問いを生むような魅力的な文体で、身近な題材の自明性を揺り動かしてきた。「ノンフィクションは事実をそのまま書くもので、何らかの教訓や着地点があるもの」という一般認識をもまた。そこにはただ、私たちが真剣に考えた時にのみ生じるおかしさがある。

2014年4月7日月曜日

365日

by 梅津志保


子どもの頃、たくさんの動物に囲まれて暮らしていました。
鶏、うずら、インコ、犬、亀。
子雀を拾った時は、どうしたものかと、子雀を鳥籠に入れて庭先に置いておくと(ベストな方法は、子雀を見つけたらそっとしておくことです。)親雀が必死で小雀に餌を運んできたので、慌てて籠を開け、子雀を放ちました。

また、台風の後、鳥小屋の入り口に、増水で流れてきたのか蛇を見つけたときは驚きました。腰を抜かしている場合ではありません。鳥を守るため蛇を追い出しました。このように、365日動物と関わっていました。 

そんな私が、最近読んだ本は、『鳥獣の一句 365日入門シリーズ』(奥坂まや著・ふらんす堂)です。
春には春、冬には冬の、季語と動物を重ね合わせ、一冊に豊かな世界が広がっています。また、自分の誕生日の句を読んだり、今日の句を読んだり。そんな楽しみもあります。
動物は、人に何かを伝えるのではなく、本能のまま、季節の過ぎ行くまま生きているんだ、ともいえます。しかし、動物は、人が「見よう」とする心ひとつで、自分の気持ちに気がついたり、動物の生きる姿の美しさや季節の風景との描写など無限の広がりを教えてくれます。 

先日、動物園に行きました。ふと思ったのは、動物の名前や生態を説明した看板に、その動物に関する俳句も掲載されていたら、もっと人と動物の距離が縮まるのではないか、ということでした。檻の向こう側とこちら側ではなく、今、同じ地で時を過ごしているということ。人は、動物に対してもっと謙虚な気持ちで接する、寄り添う、教えてもらう。俳句の中の世界と同様、この地で人も動物も生き生きと暮らし、いつまでも動物のことが詠める世の中であるといいなと思います。

2014年3月31日月曜日

半透明 

by 井上雪子


横浜・関内の器屋さん「sumica 栖」で、ガラス作家・能登朝奈さんが作る小さなカップを見た瞬間、その美しい詩性にあっと驚きました。
「日々使うための、実用という選び方でいいのですよ」という店主・栗栖久さんの言葉に背中を押され、私が選んだのはかなりいびつで不透明なグラスでした。ひとがガラスに求めるのは透明という美しさのはずなのに。

小さな海をそのまま掬ってきてしまったかのように小さな気泡が閉じ込められ、生き物の気配すら伝えられる半透明。
ゆったりと繊細で冷たすぎない無造作、ほどよい厚みとその重さは安心感とよく似ています(安定感ではなく)。
鋳型にガラスの粉を敷き詰め、炉に入れて溶かして成形するパート・ド・ヴェールと呼ばれるこの手法は、紀元前16世紀にメソポタミアで発明されたものだとか。大量生産には向かず、長く途絶えたり、復活したりを繰り返しているものだそうです

大量生産に向かない、古い古い手法がひそかに生きのびる。なんだか、それは私が漠然とイメージする俳句の在り様とよく似ている気がします。私は詩歌には魂の純度の高さ、言葉そのものが自ずと放つリズムや調べを求めているのでしょうが、とりわけ凝縮を強いられる俳句には、パート・ド・ヴェールの磨かれた宝石というよりは、野生の根がひそかに深くながい時間に繋がれて内包したくぐもった光のような、ひとの言葉本来の温かで素朴な力を求めているように思います。
暮らしのどこかに忘れたように置かれ、古臭いと言われながら生き延びる詩型、けれどそのエッジは詩を必要とする人の胸底に深く新しく届き続けるのだろうと思います。

日光をためて夜にひかり始める石のような、積乱雲が海に落とした影のような、ぽつりぽつりとひとつひとつ、けして急がずゆこうと思います。

2014年3月24日月曜日

ポモドーロ

by 西村遼


何事も長続きしない自分の意思の弱さにほとほと愛想がつき、意思を強くする方法がないかネットで探したりしている。この時点でいかにも意思の弱い男という感じだが、いろいろ試しているうちに、かろうじて一つ自分に合っているかもというやり方を見つけた。

勉強か何か継続的な日課をすると決めたら、まずタイマーを15分あるいは25分にセットし、タイマーがカウントしている間はそのことだけに集中する、という時間を作る。ここで大事なのは、一定時間行うということが目標で、その質は一切問わない、というルールだ。たとえば語学学習なら、15分、開きっぱなしの教科書をぼへーっと眺めているだけで、実際には一行も頭に入ってきていなくてもいっこうに構わない。人間は習慣の生き物なので、身に付いていないことをする時にはいつも心理的抵抗が働く反面、一度はじめた作業はつい続けてしまうという習性があるので、最初の億劫さや敷居の高さをこの方法で取り除いてしまえばあとは勢いで継続することができるというのだ。そんな簡単なものかとも思うが、なぜか自分には向いているようだった。

気に入った理由はたぶん、「ポモドーロ法」というその名称だ。なんでもイタリア人の作家が考案したそうで、スパゲティの茹で時間をはかるキッチンタイマーを使って自己実現をしよう、みたいな趣旨らしい(ポモドーロはイタリア語でトマトのこと。公式サイトにはトマト型のキッチンタイマーを使う動画が紹介されている)。その由緒じたいがなんだかテキトーな感じで良い。

やり方自体は極めてシンプルだし、事実古来より数えきれないほどの人が同じようなことを考えて実行している。そんな中でこの人固有の手柄があるとすれば、ポモドーロという言葉の響きによるものだと考えたい。PomodoroというO音の連続によって、おおどかというか、そんなに完璧にやるこたないよ、と言われている気がしてくる。ネーミングは大事だ。
 
というわけでこの方法を知って以来、体調の悪い時や忙しくてサボってしまう時、呪文のようにぽもどーろ、ぽもどーろと呟き、まるでCMの台詞みたいに、「大丈夫、ポモドーロ法は君の味方だ!」と自己暗示をかけている。かなりバカっぽい気もするが、意思が強いこととバカになることとは外からだとあまり区別がつかない。私の意思が弱いのは多分治らないだろうから、せめてバカになることを徹底しようかと思う。

(ポモドーロ法の本家サイトはこちら。 http://pomodorotechnique.com/)。

2014年3月17日月曜日

答え

by 梅津志保


谷川俊太郎さんの「生きる」を再読する機会がありました。
読むのは、小学生以来でしょうか。私は、3月の明るい午後の日差しの中ゆったりと読みました。それは、国語のテストの終了時間に焦るようなこともなく、クラスの友人たちの前に立ち、一人朗読するような緊張もなく、解き放たれた時間の中で。そして、小学生のときには到底分からなかった、たくさんのものを受け取ることができたのです。

「いま生きているということ それはミニスカート」
小学生の私は、この意味を全く分かっていませんでした。今は、私なりに解釈すると、これは、文化を意味しているのだと思いました。
そして、詩の構成を俯瞰してみると、人間が生きていく中で育んでいくべき「五感、美(文化・宇宙・音楽・絵画・自然)、喜怒哀楽、流れゆく時間、地球、愛」がテーマなのだと気がつきました。こんなにも丁寧に教えてくれていたなんて! 

今またこの詩に出会えてよかったです。
なぜなら、私は、このテーマを大切にして自分が生きているのか振り返るきっかけになったからです。私にとって生きているということは何か。きちんと対象と向き合っているか。
「いま生きているということ それは季語 それは(   )」。穴埋め問題の自分の答えを埋めながら生きていこうと人生半ばにして思うのでした。

2014年3月10日月曜日

びゅんびゅん

by 井上雪子


「そうそう、ちょうど借りてきたものがあって」と、いきなり、素手に手渡された縄文土器。
横浜の海に近い丘の上の歴史資料館をお訪ねし、6000年くらい前の貝塚のお話を伺っていた時のこと。

素手で持ってもいいのかしらと驚きつつ、教科書や新聞の写真、あるいはガラス越しに見るものと思っていたその土器の、おおらかに焼かれた力強さ、素朴なのだけれどとても美しい色形に、圧倒されました。

石膏で繋ぎ合わされた15cm×30cm位の破片とはいえ、ずっしりとした厚み、紅・赤・茶・こげ茶の混じった黒茶色の、彩度の高いくっきりした素焼きの色合い、じつに無造作ながら確かな存在感があります。
竹を使って描かれたという波模様の、びゅんびゅんと迷いのない強さからは、たしかな美意識が伝えられて来ました。

懐かしいような何か、6000年という時間を越えた縄文土器を手に、自分のDNAが誇りを感じていることにゆっくりと気づきながら、なにかその土器の作り手の意志のようなものさえ、私に伝えられた気がしました。

土器は、人が人として暮らしをはじめる大きな節目としてあったものでしょうが、それが祭祀用であれ生活の器であれ、その技術のなかには、はじめから、表現という自覚と美意識があるのだということを、ふいに実感できた時、おそらくはこの頃、世界に名前を与えながら、ひとは人間という自分たちの思いを発見して行ったのであろうことにも思いが到りました。

素手に残された土器の感触の中で、技術と意志と表現について、素朴な強さという温かな思いをいつまでも巡らせていました。

俳句もまた、伝統を重ね、新しさや洗練を求められる表現ですが、捏ね繰り回し過ぎぬよう、句帳の表紙に縄文土器の絵を描いておこうと思います。

2014年3月4日火曜日

とんぷく

by 梅津志保


風邪をひきました。病院で処方された薬の袋はふたつ。ひとつはシンプルに「薬」、もうひとつには「とんぷく薬」と記されていました。 

風邪で朦朧とした意識の中「とんぷく」という言葉をキャッチしました。それは、私の中では「とんぷく」という言葉は、明治、大正、昭和初期の小説の中で、病気で寝込みがちな主人公の枕元に「とんぷく薬」の袋が置かれている(その横にはキレイなガラスの水差しが置かれている。)、もしくは、昭和の初めに建てられた、木造の小さな診療所の窓口から看護婦さんが「お大事に。」と言って「とんぷく薬」の袋を手渡す、とにかくそんな懐かしいイメージを勝手に持っていたのです。そう、私は、油断していたのです。平成26年、初めて「とんぷく」という言葉と自分が向かい合う日が来たのです。 

はじめは、ぼんやりとした頭の中で「とんぷく」という文字の持つ、どこかのんびりとした、平仮名のゆったりとした響きが面白く、薬袋を見るたび頭の中で「とんぷく、とんぷく」と呪文のように繰り返していました。また、「頓服→頓挫、あぁ~」とネガティブに連想し出し、今思えば、少々危ない一線を漂っていました。 
そのうちに、昼間のあたたかい部屋で寝ている幸せや薬袋にあたる日光の清潔な明るさを心地よく思えるようになりました。自分の心と身体が、風邪という悪事から抜け出し、気が満ちて、心の広がりを感じ、回復に向かっていることを実感したのです。 

今回の私の風邪は、とんぷく薬だけで治ったのではなく、「とんぷく」という言葉にも助けられ治ったように思います。文学、詩、平仮名、片仮名の言葉が持つユニークさ、力強さ。
自分の身体が弱っている、そんな時こそ、心には文学や詩の栄養ドリンクを注入したいものです。

2014年2月24日月曜日

ポワン

by 西村遼


俳句のほとんどは歩きながら出てくる。
近所を散歩していて何か目に止まるものがあると、マンガのフキダシみたいなものがポワンと頭上に浮かび、そこが俳句を考えはじめる。自分で考えているという気はあまりしない。

雲みたいなフキダシは立ち止まったり座ったりするとすぐちりぢりになってしまうので、一度浮かんだらまとまった句の形になるまで歩き続けないといけない。そんな調子で15分のつもりだった散歩が2時間以上かかることもある。俳句はけっこうな体力を使うものだ。

ある日の夕方、田舎道を歩いていて、ふと仰ぎ見た高圧線の鉄塔にポワンときた。よく見れば鉄塔というのはおもしろい形をしているし、しかも一本一本ちがうのだ。今までそんなことに気づかなかった方が不思議なくらいで、これはおもしろい俳句になるかも知れない、と思った。

さっそく高圧線をたどって順番に鉄塔を見に行くことにしたが、しかしこれは思いのほか大変だった。鉄塔は人間の歩く道とは無関係に電力会社の都合で設置されているので、一本先の鉄塔にたどり着くためにふうふう言いながら丘を越え、工場を回り込み、川を渡る橋を見つけなければいけないこともある。

その時も、勾配がきつくて何も言葉が浮かばなかったので不毛な気がしてきて歩くのをやめた。そして石段を上がった先の神社の境内で休憩し、そこから田んぼと雑木林が交互に続く郊外の風景を見下ろすと、道路や農地のような人間の視線の高さで作られた仕切りを堂々と無視して等間隔にそびえる鉄塔の姿があった。

ふと、この景色の主役は鉄塔だと思った。私が鉄塔を見ているというより、鉄塔の方が、私や他の人間の生活も含めたこの夕刻の景色を悠然と見渡しているような気がした。擬人化というより、そっちが本当なのではないかとさえ。

サーモンピンクに染まった雲がポワンと鉄塔の上に浮かんでいた。あの中では今、鉄塔たちの俳句が生まれつつあるのかも知れない。

2014年2月18日火曜日

神様目線

by 井上雪子


職場のほど近くの立派な神社、その階段をゆっくりあがっていくと空はとても青く見え、二礼二拍一礼、頭の中を空っぽにしやすくなります。

しばらくの静けさが耳を洗って、さて、100円玉をころろ~ん、一番取りやすく見える巻紙をひとつ、開くまでのちょっとスリリングな気持ちを楽しみつつ職場に戻ります。
ああ、これは今の自分にとても適っている。「そうそう、正直に、まっすぐに・・・だね~」と、必ず頷いてしまう。
たとえそれが一方通行のあてずっぽうだとしても、「私」にダイレクトに語りかけられている言葉というのは、なにか幸福で開かれているような、ラブレターをもらったような温かさ。
心のもやもやにすーっと光が射すように「私」に届いてくる言葉、お御籤には、そんな不思議な力があります。

自分では気がつかないのですが、なにか嫌なことがあった後や、ちょっと新しいことを始めようと思う時に足を運んでいるからでしょうか、神様目線の表現と自分の目指す何かが共振しやすくなっているようにも思います。

あなたの幸福を誰よりも願っている私の言葉を信じなさい。
自然の法則に従うことがすべてです。
正しく優しく言葉を届けなさい。
いつの時代に誰が始めたのかは知りませんが、長い年月をサバイバルしてきた、確かな言葉の力のあり方、それはきっとひとの表現のはじめにあった祈り、詩歌の根っこの思いなのだと思います。

めずらしく大吉だったお御籤を読み返しながら、俳句もまた、そもそも言祝ぐものということを思い出しました。

2014年2月11日火曜日

by 梅津志保


モネは、どんな思いで、その風景を切り取って、描いていったのか。 

国立西洋美術館で開催中の「モネ 風景を見る眼」を観ました。 私が注目したのは、テーマになっている「風景を見る眼」。
印象派時代は、近代生活を取り巻く風景を切り取る視点や構図を模索したというモネ。モネがその眼で見たであろう風景、描き直したであろうキャンバス上の風景、モネの眼と私の眼が一体となり、美しさの普遍性と光があることの明るさ、艶やかさ、時間を超えて作品を共有している事実に一瞬「クラッ」としてしまいました。

そして、これは「俳句と同じではないか」と。
多くの事柄や風景から「これだ!」と思う、一番いい部分を感じ、それを切り取る。白いノートに書き(絵画なら白いキャンバスに描き)、自分の世界を作る。(これって結構気持ちがいいものです。)そして読んでくれる(絵画なら観てくれる)人と思いを共有する。

「眼」は「物事の本質を見通す力」や「要」という意味も持っています。
「梅津 風景を見る眼」をもっともっと鍛えて、自分の世界を広げていくこと。そんなことを思いながら国立西洋美術館を後にしました。

2014年2月4日火曜日

夢の殴り書き

by 西村遼


初夢というのは元旦に見る夢という説と二日の朝に見る夢という説の二つがあるとは聞いていましたが、それだけでなく三日の朝に見る夢という説もあるそうです。しかしどの説が正しいにせよ、夢を見たはしから即忘れてしまう私には残念ながら今年の初夢のご報告はできません。もしおぼえていられれば、このブログは以降数千文字に渡って我が神秘の内的世界の披瀝の場となったことでしょうが。
 
およそ他人が見た夢の話ほど愚にもつかない話はないと言われ続けていますが、それでもなお人に語ってみたくなるのも夢の不思議というもの。私はもともとわりあい印象のはっきりした夢を見る一方で、目覚めて数分で内容を忘れてしまうため、おぼえているうちに寝ぼけ眼でとっさに机上のメモに内容を書き付ける癖があるのですが、たとえば先日のメモにはこうあります。

昆虫戦士コオロギン

さあ、私の脳内で朝方どのような物語が展開したかご興味が生まれたでしょうか。それとも無言でこのブログの画面を閉じようとしたところでしょうか。残念なことに、私自身この夢について何一つ語るべき記憶を持たぬ今となっては、メモに下手な字で殴り書かれたこの単語のみが夢世界の私と現在の私とを結び付ける唯一の項なのです。
 
昔から「胡蝶の夢」とか「邯鄲一睡の夢」とかの故事が好きで、毎夜おもしろい夢が見たいと思いながら布団に入る子供でしたが、残念なことに夢の中の出来事を言語化して記憶するのが苦手で、ほとんどの場合はただ覚め際に一瞬の感情の波跡だけを残し、天井を見上げながらうっすらと悲しくなったり、変に気持ちが軽くなったり、やたら憤慨しているが理由は全くおぼえていなかったりと、夢はただ横ざまに脈絡なしの感情を日常に残していくものでした。もとより意味や物語など求めても仕方ないのでしょうが、忘却の一瞬前までは確かに何かあったはず、と思うと寂しいようなもったいないような気がします。

そういえば一度だけ、夢の中で短歌が浮かんだことがあります。翌朝メモにちゃんと定型に則った文字列が残っていた時にはやった!と思いましたが、改めて見ると、おもしろみは少しあるものの推敲不足、そもそも題材から練り直しが必要、類想あり、とお決まりのコースをたどり、これなら目覚めた時に作る方が早い、とのオチに行き着いたのでした。どっとはらい。

初夢に眼鏡忘れてきたりけり  西村 遼

はじめまして


はじめまして。
同人誌「豆句集 みつまめ」を作っている俳句ユニット「豆句集 みつまめ」メンバーの西村遼といいます。

昨年から今まで、立冬、立夏、立冬に合わせて三冊の「豆句集 みつまめ」をつくってきましたが、本日この2014年立春に合わせて新しいブログを立ち上げました。

俳句ブログみつまめ。

俳句についてのブログをみつまめメンバーが書きます。そのまんまです。
私、西村のほか、井上雪子、梅津志保の三名で、持ち回りで俳句のこと、身の回りのことや表現について考えたことを書いていくつもりです。
 
書くことは思いのほかむずかしいです。日常的なことを当たり前に書いたつもりでも、それを散文にすると逃げていくものが確かにあり、うまくいかぬと諦めたふりをしつつ、しかしまた隙を見てだっと獲物にとびかかる猫のごとき動作でもって、地道に考えていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

2014年 立春の日に

西村 遼